なぜジョンレノンというと「イマジン」か

毎年この12月になるとテレビにジョンレノンが取り上げられることが多くなり、そのときに必ずと言って取り上げられるのが「イマジン」である。
ジョンがイマジンを歌う顔がアップで映し出されるあれである。


僕はジョンが取り上げられるたびにイマジンが取り上げられるのには非常な違和感を感じる。
僕はイマジンが歌っている世界観には全く同意できない人間の一人である。
これはジョンが好きであるとか、ロック好きであるとかということを超えたところで存在している感情である。


イマジンは歌えば歌われるほど、その内容に関して考えれば考えるほど、実に絶望的な気分にさせられる歌である。
あの歌が歌っている世界は空想の中にしか存在し得ないユートピアである。
少なくとも僕はジョンという人格がそのユートピアの実現を本当に切実に願っていたとは到底思えない。
あれは少なくともジョンが精神的に病んでいたという時期の現れであったと思う。


世界平和を歌うピースの象徴としてのジョンは、ある意味ヨーコの影響が大きかったと思う。
しかし本来、特にヨーコにあうまでのジョンは、本当に身の回り数フィートでおこる出来事とそれに触発される生な感情を歌に託すという、ロック本来のあり方を見せてくれる極上なロックシンガーだった。
薬なのか瞑想なのかカウンセリングによる暗示なのかわからんが、この世から隔絶された煩悩を無くしたような世界を歌っていたときのジョンは、ある意味、本当に不幸な時代だったのかもしれない。


ジョンにはビートルズの時代から、もっと言えばその前から、すばらしいロックシンガーとしてのジョンを表す曲がたくさんある。昔から現実逃避しがちな世界をすぐ描きたがる性格ではあるが、ロック本来が持つ批評性やリアル感、生活の切り取り方等をうまく反映したロックをたくさん作っている。
年末に向けて、ロックンローラー・ジョンレノンを特集したプレイリストを作ろうと思っている。
すばらしいプレイリストになるのではと思っている。