今回のJR西日本の事件から感じること

今回の事件は本当に悲惨なことだったのだが、確かに悲惨さを嘆くよりもそろそろ責任追及の段階に入ってもよいのではないかと思う。この辺は下記に書かれていることにほぼ全面的に同意する。


JR事故が経営者の責任じゃないならいったい誰の責任だというのか: R30::マーケティング社会時評


特に、

どんな業務でもそうなのだが「あるルーティンワークを人間にさせる時、二律背反となるようなルールを同時に課してはいけない」というのが、オペレーション・マネジメントの基礎の基礎だ。
中略...
もし「きちんと部品を組み付ける」というルールと「早く部品を組み付ける」というルールの両方を100%やれと指示したら、たぶんどちらも100%はできないだろう。なぜなら、早く作業しようとするほど組み付け失敗の起こる確率は高まるからだ。そして、組み付けに失敗した製品を後工程で検査して手直しして、とやっているうちに、結局ライン全体の生産効率は落ちてしまう。

の部分は本当に考えさせられる。
これは何もこの問題に限られたことでもなく、我々の周りやいろんな会社の中に転がっていることではないだろうか。
また、

少なくとも、人員に余裕のまったくない状態でギリギリの運行ルーティンを毎日やらなければならず、そのためにオーバーランや制限速度違反が常態化していたことを定量的に計測して改善策を打つ社内ルールを作っておかなかったこと、それ自体がJRW「安全対策」の最大の問題だったという認識を、マスコミやブロガー諸氏は持つべきだと思うよ。

の部分は多少私にも耳の痛いところがある。


デスマーチがあらかじめ予見されるようなスケジュールが組まれているにもかかわらず、経営的(いやあえて経済的といおう)な問題から、無理なプロジェクトが押し付けられる実態はソフトウェア業界にも無いだろうか。


これはJRWの問題であるが、同時に私の問題であることを私に示唆してくれたことでこのブログの問題の昇華度は大変高く感じた。