口の周りで世界は回る

良く原則論を声高に語り続ける人がいる。そして現実がそれに追いついていないことに苛立ちの言葉を発する。世の中には誰でもわかる原則論があるが、現実はその通りにならないことも多い。その場合に語る側の意識の中に、自分が当事者であるか無いのかという意識があるかどうかは非常に大切であると思う。僕はいつも当事者意識を大切に感じている。逆に当事者意識の無い、原則論を言い換えれば理想論を無責任に発する発言には非常に憤りを覚える。「生命は大切である」「愛は尊い」別の視点で「企業は利益を挙げなければならない」、普通の企業ではもっと具体的に「いついつまでにどれどれの利益を上げなければならない」。どれもごもっともである。しかし、それが実現されない理由に自分は含まれないのかと数千回問いたい。そういう当事者意識の無い人の発言は、それを実現するための行動を伴わないし、実現手法に対する疑いもない。口の周りで世界が回り、頭の中で世界は完結している。


しかし、現実はその通りには絶対にならない。現実は細かい因果関係の積み重ねによってしかその結果はなしえないのである。口の周りで世界が回っている人の特徴は、その現実の因果関係=仕組みが見えていないということで、それが自分の最大かつ決定的な欠落だと認識していないことである。因果関係は仕組みと言い換えてもよい。その因果関係の一つ一つは非常に小さく、なんでもないことの積み重ねである。ところが口の周りで世界が回っている人は、そのなんでもないことの積み重ねに耐えられない。結論がほしいだけなのだ。


僕はそういう人はそういう人でよいと思う。
しかし、そういう人は一生物事を変えたり成し遂げたりできない。
物事が動く仕組みが見えていないからであり、それに対する行動のひとつひとつをとっていないからである。たいていそういう人は現実が追いついていないことを人のせいにするし、追いついてない現実を相対的根拠に自分が進んでいるという錯覚で満足している。


たわごとかもしれないが、みんなも周りを見れば、そういった満足げな顔を一杯見ることができるから。絶対にいるはず。