ipod shuffleが欲しい


異常に欲しくなっている。


最近外出する事が多くなってくると、ipodなどの音楽環境と携帯電話が異常に大事になってくる事がわかる。
外出中心の場合PCは無力である。


9800円というちょっとした散財で済む値段。
240曲しか入らないと言っても一曲4分で計算すると16時間分はいるという能力(通勤、外出中心でも充分である)。
なんと言っても軽くて邪魔にならない。
そして今日にもApple Store銀座で売り切れるだろうという予測。


こういった物が俺に今日銀座にいかなきゃ!!と責め立てる。
でもカーテンも欲しいしな。
失業中だしな。
結局買いに行ってしまうのだろうか。


しかし携帯電話も携帯音楽プレイヤーも大事なのはいかに軽く小さく邪魔にならず、しかもその割には高機能(多機能じゃないよ)という事だろうと思う。


今まで俺は結構、iTunesの全てのライブラリを持ち歩くのがipodの醍醐味だと持っていた。聞きたい時にぱっと思いついた曲がすぐ取り出せる。どこでも。なので、ipod nanoだとかipod shuffleは論外であった。


ところが外出が多い生活になってから価値観が変わって来た。
俺の今までの価値観はPC的発想というか、簡単に言うと出歩かない人の価値観だったのだと思う。出歩かない場合、PC等動かないでそれ一つで全てをこなすという多機能、汎用性が求められる。ipodで全ての自分のライブラリを全て持ち歩くという発想も、同じベクトルを向いている。究極を言うと、外出を考えなければipod自体いらないという事である。


一方、外出中心の生活の場合、モバイル的価値観が重要になって行く。その心は、形の携帯性(薄さ・軽さ)、機能の限定性(反汎用、これくらいの機能で十分なんだという割り切り、本当に外出時に必要な機能だけを厳選する)、それに基づく操作性の良さ(限定された機能が簡単に実行できる)。ipod shuffleはこの理想を備えている。一般的にモバイル的価値観が強まった製品であればある程、逆に一見必要であると思われる機能が削られて行く傾向にある。shuffleで言うと液晶をバッサリ切ったところがそれに当たると思う。薄さ・軽さというモバイル的価値観の重視により、一見必要な機能であると思われる(ジャケット見えるとか曲名がわかるとか)液晶という機能を削った訳である。


それを考えるとipod nanoはちょっと中途半端な製品だな。モバイルというインパクトから見ると。ビデオが見れるipodはもっと中途半端な存在である。どちらかというとPC的価値感に近い。


最近携帯電話でグッと来る製品がないのもそれだな。
みんなモバイル状態で本当に使うかどうかわからん多機能を詰め込み過ぎで本当に必要な機能が足りなかったりする。AUワンセグ入れたり録画できたりなんかより、全ての端末のEZナビウォーク電子コンパス機能を付けてくれ!!


ということで最近はモバイル的価値観を再発見している訳で、これは結構携帯端末だけでなく、コンテンツやサービスという分野でもそういった価値観の切り口から再構成しなければならないという事だろうな。


最近はこういった事を強く感じています。