New Order「WAITING FOR THE SIRENS' CALL」

久しぶりにNew Orderのアルバムを買ったのであった。
どのくらい久しぶりかというと、一番最後に買ったのが、
Brotherhood
だから、ほぼ20年近くぶりになる。
そのくらいだから僕がイギリスのポスト・パンクニューウェイブの流れにはまっていた10代後半から20代前半の話である。


20年近くたったNew Orderはどのように聞こえるだろう。

Waiting for the Sirens Call

Waiting for the Sirens Call



僕がはまっていた時代のNew Orderはエレクトロニック・ダンス・ビートを積極的に取り入れていた時代で、『ブルーマンデイ』『Confusion』等の名曲を生み出していた時代である。ロックバンドがエレクトロニック・ダンス・ビートを積極的に取り入れて、融合を図っていた最先端の例であり、成功例であった。


その時代の印象を持っている人がこれを聞くと、1曲目〜2曲目で印象を覆されるところがあるかもしれない。ブリティッシュ正統な叙情的ギターサウンドになっている。しかし一方で往年のNew Orderを思い出させる、エレクトロニック・ビートにピーター・フックの高音でメロディーラインを奏でるベースラインが走り、その上にバーナード・サムナーの切ないヴォーカルが絡むというサウンドは、アルバムタイトル曲や「KRAFTY」で聞かれることができる。
このアルバムは良い意味で、そういったギターサウンドとエレクトロニック感のバランスが取れたまとまりのあるアルバムになっている。


もともと彼らは、「ジョイ・ディヴィジョン」というポスト・パンクバンドであった。イアン・カーティスの衝撃の首吊り自殺によって惜しくも解散してしまったが、残ったメンバーで結成されたのがNew Orderである。そういった意味では、彼らはもともとギターサウンドやバンドサウンドのグループだったのである。


そんな彼らのサウンドで今も変わりないのは、全体的に流れる「切なさ」である。彼らのサウンドは昔からずっと変わらず果てしなく「切ない」。それはバーナード・サムナーのヴォーカルだけによっているのでなく、エレクトロニック、バンドサウンドサウンドの形態を変えようとも、バンド全体から漂ってくる「切なさ」である。それは、イアン・カーティスが自殺してしまって放り出されたあとからずっと続いている「切なさ」である。ところが、その「切なさ」が単なるベトベトした叙情感にならないのは、彼らはずっと一貫して刻み続ける淡々としたリズムによっている。かれらはその「切なさ」をこんこんと歌いこむことも訴えかけることなく、性急なビートに乗せて淡々と表現する。そして一貫した「孤独感」を語る。そこが彼らに、単に「切ない」と泣いているだけの存在ではなく、それと向き合いながら生き続けるといった感じのバランス感をあたえている。残されたメンバーはかくして逃げることなく生きつづけるのだ。