ColdPlay::X&Y

X & Y

X & Y



ColdPlayの最新作。
僕が彼らの音に触れたのはデビュー作の「パラシューツ」。
当時通っていた英会話学校の先生が今のフェイバリットとして紹介してくれた。
その先生は授業の最初に必ずギターで一曲歌うという先生だった。


最初聞いたときはそのあまりにも内省的なサウンドに、なんて暗いんだと感じたものです。でも聞き続けていると、なぜか「はまる」感じを感じたものです。


その後彼らは「静寂の世界」(A Rush of Blood to the head)、今回の「X&Y」と順調にセールス上も音楽的評価上も順調に進んできたわけです。


かれらの道筋は推測するに結構厳しいものがあると感じます。
デビューの「パラシューツ」から高い音楽的評価とセールスを達成し、その後の道のりはプレッシャーとの戦いだったと思います。また、彼らが志向する音楽性の形も、ギミックを一切許さない、本当に真摯に音楽の持つアート性を追求する形であり、冗談や気分転換を許さないような常に張り詰めた態度がありました。でも、彼らは最初が売れたからその方向性を保持せざるを得なかったというよりは、自らその道を選択して言ったという感じがします。


彼らの音楽の方向性はファーストから今作にいたる3作で、基本的には幅の面では大きなブレは無いと思います。ただ、そのブレがない方向性を深く深く追求しているという感じがします。このサードはそういった意味では今までも中でも一番深みのある楽曲が揃い、完成度の高いアルバムでもありサウンドの厚みも増し、今までのColdPlayファンも素直に受け入れやすい作品になっていると思います。


と、ここまでは一般的な冷静な感想なのですが、最後に私の私感を少し。


私はBlackミュージックを始めいろいろ聞くのですが、いろんな幅からみるに、ColdPlayというのは、やはり旧来のヨーロッパの伝統的なアート志向なのだなと感じます。なんというか、やはり絵画のようにアーティストの作品を閲覧者がありがたく拝聴すると言った感じがします。アーティストと閲覧者は固く切りはされ、そこには厳然たる壁があります。
黒人音楽の流入以降、音楽が持ちえたインタラクティブ性とか、双方向性、平たく言うと音楽を奏でる人間とそれを聞く人間の差や壁を乗り越えた部分で、相乗効果によって音楽がより高い次元に昇華されるといった特徴がありますが、ColdPlayの音楽にはそういった方向性は感じられません。
常にモノローグなのです。
一緒に歌うことも、乗って踊る事もない音楽ですね。
ColdPlayの音楽を聴いて、一緒に口ずさみたいとか、思わずリズムをとってしまうとかいった楽曲はあまり無いわけです。
そういった意味では、これは、ColdPlayに残された壁であると感じます。
と同時に、今回、ゴスペルの要素を取り入れた楽曲がある等の出来事は、今後の期待を感じさせます。


デビュー作から完成されてその後も勝ち続ける事を強いられ、それに真正面から向き合ったからこその今作がある。一作ごとに常に線形に向上してきた彼らの姿もある。しかし、これから先のColdPlayが勝ち続けるには、幾多の壁があることと思われる。彼らがその壁を乗り越え、勝ち続ける姿を期待する一ファンとして、これからも彼らを影ながらフォローし続けたいと思っております。